


「もちゃ」は、
2025年12月17日で
サービス開始から600日目を迎えます。
いつも私の傍に居て、
いつも照らしてくれた明日。
もちゃが創ってきた日々は、
きっと、かけがえのない
“青春”のほんの一幕。
それは、3年間という
限られた時間が生み出した
完全密着型情報共有発信サイトでした
そんな「もちゃ」の
誕生軌跡をぜひご覧下さい
▶︎当サイトではBGMが流れます。音量を調整してお楽しみください。(PC版では流れません)
▶︎本文は約16,000字となり、一般的な読む速度で約20分程度の時間を要する場合があります。
動機は私。行き先は私達。
新学期が始まり、クラス替えや新しい担任の先生との出会いに胸を弾ませる一方で、私はある種の“違和感”を抱えていた。
それは、学校生活に欠かせない「課題」の管理に関するものだった。
国語の課題、数学の提出プリント――。
各教科ごとに出される課題はいつも通りだったが、問題はその情報の「伝えられ方」だった。提出日や範囲など、学習に必要な情報がバラバラな場所に散らばっており、それを一つ一つ確認するのが想像以上に煩雑だったのだ。
確かに、学校では「Google Classroom」という便利なシステムが導入されていた。
しかし、その活用状況には大きなばらつきがあった。若い先生やデジタルに慣れている先生は積極的に使ってくれていたが、年配の先生やデジタルに不慣れな先生は、そもそもその存在を積極的に利用しようとはしていなかった。
「この課題Classroomに載ってたっけ…」
「小テスト、明日だったっけ……?」
そんなふうに、必要な情報を探す時間がどんどん増えていった。
情報自体は存在している。けれど、それが“見える”形で共有されていない。
そのことに、大きな不便さとストレスを感じていた。
提出日を黒板に書いて終わり。
小テストの日程は、口頭で「来週やるよ」と言われただけ。予定を聞き逃した人は、LINEで友達に聞いてようやく知る。
そのたびに、「どうしてシステムがあるのに、活用しないのだろう?」という疑問が頭をよぎった。
学校という環境の中で、ICTの利便性は十分に認識されているはずなのに、それが現場でうまく活かされていないことへの“違和感”が、日に日に強くなっていった。
ならば、自分で情報をまとめてしまえばいい。
シンプルだけれど、自分にとってはとても自然な発想だった。
こうして私は、「クラス専用の学級情報サイト」を立ち上げることを決意した。
最初は、手軽な作成ツールを使って、自分が必要とする情報を整理するための、いわば“自分専用”のメモのような存在だった。しかし、どうせ作るなら、クラスのみんなも見られるようにしておいた方が便利かもしれない。
そんな軽い気持ちから、少しずつ内容を充実させ、共有前提の構成へと進化させていった。
現在では、レンタルサーバーを借り、独自ドメインを取得して運用する本格的なサイトへと発展している。便利だと感じた友人が使ってくれたり、情報を更新するたびに「ありがとう」と言ってくれる人がいたり。そんな些細な反応が、私にとってはとても嬉しかった。
あの時感じた“違和感”は、いま思えば、ただの不満ではなく、未来への入り口だったのかもしれない。
それは、高校2年生の春のことだった。
─ はじめはいつも自分のため ─
違和感。それは、日々の学校生活の中で、ふとした瞬間に心の奥に芽生えるものだった。一つひとつは、もしかしたら本当に些細なことだったのかもしれない。たとえば、先生が黒板に書いた内容をメモするタイミングが人によって違っていたり、授業中に配られるプリントの扱いが曖昧だったり。誰かがLINEで流してくれた提出期限の情報が、気づけば見逃されていたり。
けれど、そうした「ちょっとしたこと」も、積み重なっていくと、次第に無視できないほどの不安やストレスへと変わっていった。
授業のたびに、毎回丁寧に手書きでノートを取る人もいれば、黒板をそのままChromebookで撮影して記録している人もいた。提出期限や小テストの日程、授業の進み具合などの情報は、友人同士でLINEグループに流し合って共有することもあった。けれど、それですらも、共有の輪の中にいない生徒には届かなかったり、情報が埋もれてしまったりすることがあった。
「だったら、自分が見たい時に、誰にも気を遣わずに、確実に情報を確認できる仕組みを、自分でつくれないだろうか」
そんな思いがふと頭をよぎったのが、このプロジェクトの出発点だった。
最初に思いついたのは、"ウェブサイト”という形。
LINEのグループ投稿では、どんなに便利な情報であっても、すべての人に通知が飛んでしまう。中には、遊んでいる最中や自習時間に来る通知を煩わしく感じる人もいるだろう。必要な情報を、必要な人が、自分のタイミングで確認できる場所——それを実現できるのは、「受動的に届く通知」ではなく、「能動的にアクセスできる情報提供の仕組み」だと思った。
しかも、ウェブサイトであれば、情報を見やすく一覧表示できるし、更新もしやすい。色や配置、フォントの大きさなど、視認性を自分なりに工夫すれば、学習中でも視界の邪魔にならないようにできる。何よりも、「自分自身で構造を設計できる」という自由さが、他の手段にはない魅力だった。
制作を始めた当初、特別な技術や高度なプログラミングスキルは持っていなかった。高校1年の情報の授業でHTMLやCSS、JavaScriptといった基本的な記述方法には少しだけ触れていたけれど、実際にはまだ何かをゼロから作れるほどの知識はなかった。でも、その授業で感じた「自分にも何かが作れるかもしれない」という体験は、小さくても確かな自信となって、心のどこかに残っていた。
だから最初のサイトは、専門的なコードを書くのではなく、誰でも使えるようなウェブサイト作成ツールを使って作り始めた。サーバーを借りるような難しい作業も不要だったし、複雑な手順もなかった。でも、逆にだからこそ必要になったのは、「どうすれば情報が伝わりやすいか」「どんな構成がユーザーにとって使いやすいか」といった、使う人の視点に立つ工夫と、繰り返し改善を続ける粘り強さだった。
放課後の空き教室で構成を練ったり、自宅のパソコンで一人黙々とページを編集したり、移動中や休み時間にスマホでデザインを確認したり……制作の時間も場所も、決まった形はなかった。でも、「自分が本当に欲しいと思っていたもの」を、少しずつ自分の手で形にしていく作業は、想像していたよりずっと楽しかった。
それはまるで、「違和感」だったものが、「意味のある問い」へと変わっていくような感覚だった。
自分だけのために始めたものが、誰かのためにもなるかもしれない。そんな可能性に、気づいた瞬間でもあった。
─ きっかけは自分で、継続は周りから ─
最初に完成させたウェブサイトは、正直なところ、機能もデザインもごくごくシンプルなものだった。特別な機能があるわけではなく、目を引くような装飾が施されているわけでもなかった。トップページには、その週に出された課題や小テスト、授業内での提出物の締切、行事の予定などが、日付順にただ一覧として並んでいるだけ。それでも、自分にとっては、それが何よりも使いやすく、そして実用的だった。
「今、自分が何をやらないといけないのか」
それを一目で把握できること。それこそが、このサイトに込めた最大の価値だった。
これまで、課題の締切やテストの範囲を記録するために、ノートに書き込んだり、LINEの履歴をさかのぼって確認したりと、情報を集めるためにいちいち手間がかかっていた。情報が複数の場所に分散していたせいで、「あれ、これって明日までだっけ?」と不安になって再確認することもしょっちゅうあった。メッセージアプリで通知が流れ、必要な情報が他の話題に埋もれてしまうのも日常茶飯事だった。
でも、そのウェブサイトを作ってからは、そうした煩わしさが一気に減った。開けばすぐに必要な情報が見つかる。どこに何が書いてあるのか迷うこともなく、ページ内の配置も自分なりに見やすく整えていたから、ストレスなく確認できた。何より、LINEのように「誰かが情報を送ってくれるのを待つ」のではなく、「自分から見に行ける」ことで、精神的な安心感がまるで違った。
派手な演出や動的な仕組みはなかったけれど、必要な機能に絞ったシンプルさこそが、当時の自分にとってはちょうどよかった。
“便利”の定義は人それぞれだけれど、自分にとっての“便利”は、「迷わないこと」「見やすいこと」「毎日使い続けられること」だった。そしてそのすべてを、手探りながらも自分自身の手で形にできたという実感があった。
完成したそのサイトは、まさに「必要なものを、必要な形で届ける」という、初めに思い描いた理想に近いものだった。小さな始まりかもしれないけれど、それが確かな一歩だったことは、自分の中で確信している。
すべてが順調に進んだわけではなかった。
情報の更新を重ねるうちに、思わぬトラブルが次々と起こるようになった。少しデータを追加しただけで、レイアウトが崩れてしまったり、見出しの位置がズレたり、リンクがうまく表示されなくなったり……。そうした表示の乱れは、初期の段階では日常茶飯事だった。
特に最初の頃は、「更新するたびに何かが壊れる」という感覚が常についてまわった。問題が起きるたびに原因を探し、なんとか修正しても、今度は別の場所に不具合が出る。まるでモグラ叩きのように、一つを直すと別の問題が顔を出す。その繰り返しだった。ネットで解決策を調べても、思うようにいかないことの方が多かった。それでも、動くたびに形を変えるサイトの挙動を見て、「なぜこうなるのか」「どうすれば安定するのか」を一つずつ学びながら、手探りで前に進んでいった。
そして、そんな不安定な状態のまま迎えた、「初めての公開」の日。
クラスのLINEグループに、完成したばかりのサイトのURLをそっと投稿した。たった一行のメッセージとリンクを添えて。「誰かの役に立てばいいな」なんて思ったわけではない。ただ、自分自身が使いやすいものを、同じように困っているかもしれないクラスメイトにも届けたい——そんな、静かな気持ちだった。
作成当時は、URL・サイト名・SEO画像は現在とは異なる
けれど、予想以上に大きな反響が返ってきた。
「え、これ自分で作ったの?」
「めっちゃ便利!」
「ありがたい、こういうの欲しかった!」
そんなメッセージが次々に届いた。普段あまり話さないクラスメイトからも、思いがけないリアクションが寄せられた。見てくれている人がいた。使ってくれる人がいた。誰かの「ありがとう」の言葉が、自分の想像を超えた場所に、この小さなウェブサイトを連れていった。
誰かのために作ったわけではなかった。
あくまで、自分の「困った」を解決するために始めたものだった。
けれど、気づけばその解決策が、他の人にとっても必要なものになっていた。
その事実が、静かに、けれど確かに、胸を打った。
そこからが、新たなスタートだった。
授業の変更や時間割の特例、模試の日程、進路指導の案内など、共有すべき情報は思っていた以上に多かった。提出物だけでなく、生活全体に関わる情報が交錯する中で、サイトの役割も少しずつ広がっていった。
「予定以外でも使えるものにしたい」
「勉強に役立つリンクも載せよう」
そうして、ひとつずつ、新しい要素が追加されていった。
だが同時に、別の課題も見えてきた。「時間がなくてサイトを見られなかった」という声だった。
すぐに開ける人もいれば、つい忘れてしまう人もいる。どれだけ便利でも、“アクセスしてもらわなければ伝わらない”という根本的な壁があった。
それなら、もっと自然に、日常の中に情報を届けられる方法はないだろうか。
そこから模索が始まり、たどり着いたのが、「公式LINEアカウント」の開設だった。
LINEは、ほとんどの生徒が使っている身近なツールだった。通知が届くという点では“押し付け”になりかねないリスクもあるが、必要最低限で、負担のない伝え方を心がければ、むしろサイトと組み合わせることで、理想に近づけると感じた。
最初は、「明日の提出物」や「明日の予定」など、最低限の情報をワンタップで確認できるだけの機能だった。
けれど、試行錯誤を重ねるうちに、季節に応じて見た目が変化するデザインメニューや、学級イベントの告知、個別配信機能などが加わっていった。自然な形で、学級の日常に溶け込む存在を目指し、少しずつ進化を続けた。
いつしか、この小さなサイトとLINEアカウントの組み合わせは、「提出物を管理するためのツール」という枠を越えていった。
学級という“ひとつのチーム”が、毎日を気持ちよく過ごすための、“日常に自然に寄り添うサービス”へと、静かに、着実に成長していったのだった。
─ やがて全体の理念へと ─
最初にこのプロジェクトに名前をつけたとき、それは、いわば“識別のための記号”にすぎなかった。
「sn48th.com」——それは、“第48期生”という、自分たちの学年を指し示すコードネームのようなものだった。単純で明快で、無駄のない名前。学校の中にいる人間であれば、その意味はすぐに理解できる。けれど一歩外に出てみれば、それは意味不明な暗号のようにも見える。どこか無機質で、機械的で、感情を挟む余地のない冷たさすら感じる文字列だった。
とはいえ、その頃の自分にはそれが当たり前だったし、何の違和感もなかった。
名前の響きや意味よりも、サイトが「ちゃんと動くか」「ちゃんと便利か」が何よりも大切だったからだ。情報が正しく表示され、必要な人がすぐにアクセスできる。その目的を果たせるのであれば、名前なんて記号で構わなかった。
けれど、プロジェクトが少しずつ大きくなるにつれて、ある日、ふとした違和感が芽生えた。
それは、サイトが単なる課題のまとめを超えて、学級全体の情報共有の基盤になり始めた頃だった。更新のたびにアクセス数が伸び、先生や友人からも「見てるよ」「便利になったね」と声をかけてもらうようになった。学級の空気の中に、このサイトが“存在している”という実感が生まれはじめたとき——その無機質な名前が、突然浮いて見えた。
「この名前、親しみがないな」
「もう少し柔らかく、やさしくて、誰でも呼べるような名前にできないだろうか」
「サービスとして形になってきたからこそ、“名前”にも想いを込めていいのではないか」
ちょうどその頃、新しい学年に切り替わる春が近づいていた。クラスも変わり、座席も変わり、人間関係もリセットされる、ある意味での「再出発」のタイミング。だからこそ、自分が作ったこの仕組みも、次のステージへ進めたいと思った。そして、「名前を変える」という決意に自然と至った。
新しい名前を考えるにあたって、大切にしたかったことが二つある。
ひとつは、「親しみやすさ」。誰が聞いてもスッと覚えられて、なんとなく口にしたくなるような音の響き。堅苦しさのない、やわらかな雰囲気。それでいて、雑ではなく、ちゃんと意味を感じられるもの。
もうひとつは、「やさしい強さ」。遊び心や柔らかさの裏に、ちゃんとした理念や芯のある価値観を感じさせられること。ふわふわして見えても、その中に信頼感が宿るような名前がいいと思った。
試行錯誤を重ねる中で、たどり着いたのが「もちゃ」という言葉だった。
「もちゃ」は、造語だ。辞書には載っていない。でも、どこかで耳にしたような、懐かしく温かい響きがある。
「もちもち」「もちゃっと」——そんな言葉が連想させるのは、柔らかさ、ぬくもり、そして少しのユーモア。子どもでも、年配の方でも、自然に口に出せるような安心感が、このたった二文字に詰まっていた。
それだけじゃない。この名前には、もうひとつ、大切な意味が込められている。
それは、「もっと、ちゃんと。」という想い。
届けたい情報を、もっと。
見る人の気持ちに、もっと。
そして作る自分自身も、もっと。
そしてそれらを、ちゃんと。
正確に。丁寧に。誠実に。
この短いフレーズに込めたのは、効率やスピードだけではなく、人と人との間にある“思いやり”を忘れないという決意だった。たとえデジタルであっても、その根底にあるのは「人のために作るもの」でありたい——そんな気持ちだった。
「もちゃ」という名前には、そのすべての願いが、静かに込められている。
無機質な記号から、温かみのある存在へ。
便利なツールから、愛着のあるサービスへ。
プロジェクトは、ただ形を変えただけでなく、名を持つことで“意味”を持ちはじめた。そしてその名が、多くの人にとって、頼りになる存在として育っていくことを、今は心から願っている。
─ もちゃの誕生日 ─
「もちゃ」という名前を決めたとき、自然と頭の中に浮かんだのは、サービスの“顔”となるキャラクターの存在だった。
ただの飾りやマスコット以上のものがほしかった。
情報サイトというのはどうしても、どこか堅くて事務的になりがちだ。事実だけを正確に伝えることはもちろん大切だけれど、その一方で、画面の向こうにいるユーザーに“人のぬくもり”や“体温”が感じられなくなることがある。数字や文字だけでは、伝わらない何かがあるのだ。
だからこそ、サイトに“もちゃ”というキャラクターを誕生させた。
丸くて、少しとぼけた顔をしていて、見ているこちらが思わず微笑んでしまうような愛嬌のある存在。けれど、ちゃんとこちらのことを見ていてくれて、案内役として安心感を与えてくれる、そんな存在になってほしいと願った。
「もちゃが教えてくれるから大丈夫」
そう思えるだけで、利用者はサイトに親近感を持ち、敷居がぐっと低くなる。
画面の向こうに「誰かがいる」という安心感が生まれた。
さらに、“もちゃ”は季節やイベントに合わせて表情を変えることで、情報提供だけでなく「楽しさ」や「遊び心」も届けられるようになった。
たとえば、夏には汗をかいていたり、冬にはマフラーを巻いたり。クリスマスにはサンタ帽をかぶったり……そんな細やかな変化が、ユーザーの心をくすぐり、サイトに来るたびにちょっとした嬉しい驚きを与えられたのは、まさに“もちゃ”というマスコットの力だった。
実は、“もちゃ”のデザイン案は全部で6つあった。
どの案も個性的で、それぞれに魅力があった。
かわいいと言ってくれる人もいれば、どこか変な顔だと感じる人もいた。受け取り方は人それぞれで、一つの正解があるわけではなかった。
けれど、どの意見があっても確かなことが一つある。
それは、“もちゃ”が確実に記憶に残るキャラクターになったということだった。
⠀⠀⠀⠀もちゃ のフェイスデザイン案
そうした多様な反応の中で育まれた“もちゃ”は、単なるサービス名以上の存在となり、クラスメイトの間でも自然に名前が口に上がり、会話の中に溶け込んでいったのだ
「ねぇ、もちゃ見た?」
「今日の提出物、もちゃに載ってたよ!」
そんな風に、まるで仲間や友達の名前のように扱われることが増えた。
それが、何よりもうれしかった。
自分の作ったものが、知らず知らずのうちに誰かの「日常語」となり、生活の一部として自然に息づいている。その名前に、想いが込められていると感じられる瞬間は、ものづくりに携わる者にとって、何にも代えがたい喜びだった。
「もちゃ」という名前は、ただの響きではない。
そこには、使う人へのやさしさと、つくる人の責任が込められている。
「もっと、ちゃんと。」届けたいという願いが、今日もこの名前を通して静かに息づいている。
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デザインのバランスを示すガイド線(緑)付き
─ 継続の意味と意義 ─
「便利!」「ありがとう」「助かった」
そんな言葉をもらうたびに、心の奥がふっと軽くなって、体の力が抜けるような、静かな温かさが胸に広がっていった。
自分の手で作ったものが、誰かに届いている。誰かの役に立てている。その実感は、何よりも大きな励みになった。たとえ声には出さなくても、その瞬間、たしかに「やってよかった」と思えた。
けれど、そのやさしい言葉の裏で、自分が日々格闘していたのは、表からは見えない数えきれないほどの“小さな困難”だった。
それは、ときに一行のコードだったり、設定の見落としだったり、誰にも気づかれないけれど確実に神経をすり減らすようなトラブルの数々だった。
プロジェクトが軌道に乗りはじめると同時に、追加機能やデザインの更新に取り組む機会が一気に増えた。
「もっと使いやすくしたい」「もっと見やすくしたい」「もっと誰かの役に立ちたい」——そんな思いが膨らめば膨らむほど、作業は複雑になり、技術的なハードルも次々と高くなっていった。
新しいページを追加すれば、それに合わせて既存の構造も見直さなければならない。
ひとつの機能を変えると、思いもよらない部分に影響が出ることもあった。
スマートフォンでの表示が崩れる、LINE通知が送信されない、画像が読み込まれない、リンクが切れている……。
気をつけていても、トラブルは次から次へと起こった。
原因はさまざまだった。
操作ミス、形式の不統一、外部連携の仕様変更、非同期処理の競合、エンコードの不一致……
一見地味なようで、どれもサイトを裏から支える根幹部分に関わるものばかりだった。
そのたびに、仕組みをつくるということの繊細さと奥深さを、身をもって学ぶことになった。
忘れもしない、ある日の夜の出来事がある。
翌週の予定をサイトに反映しようとしていた。いつものように、少し眠気を感じながら、手慣れた手順で更新をかけた。
ところがその直後、全ページのレイアウトが一斉に崩れてしまった。スマホでアクセスしても、画面には真っ白なページが広がるだけ。
すぐに、友人からLINEが届いた。
「もちゃ、壊れてるよ?」
まじで焦った。
パソコンの前に座り、真っ暗なページとにらめっこしながら、原因を探し、試し、戻し、また試し……。
目の前のコードが何度も霞んだ。小さなスペルミス一つが命取りになる。
それでも、画面の向こうで誰かが“見ている”というプレッシャーと責任感が、自分を机に留めた。
ようやくすべてが元通りになったのは、日付が変わる頃だった。深夜の静まり返った部屋の中で、パソコンの画面だけが淡く光っていた。
「自分でやるって、こういうことなんだ」
そのとき、心からそう思った。
ミスをしないことが“正義”ではない。
本当に大切なのは、ミスを恐れず、目をそらさず、最後までちゃんと向き合うこと。
完璧じゃなくてもいい。だけど、何かがうまくいかなかったときに、逃げずに、ちゃんと直す。その姿勢だけは、手放しちゃいけない。
当たり前のように思えることほど、実際に経験して、痛みを伴って学んで、ようやく心に刻まれていく。
そしてそれが、次の行動を支える強さになる。
この夜の出来事は、自分にとっての“壁”であり、“学び”であり、そして確かな“成長の証”だった。
─ 継続の意味と意義 ─
更新作業は、誰かに頼まれてやっているわけではない。
ましてや、義務として課されているものでもない。
だからこそ、“やらなければならないこと”にしてしまったら、きっとどこかで苦しくなってしまうだろう。
義務になれば、楽しさは薄れ、喜びは責任感に埋もれてしまう。そんな未来が見えていた。
けれど、実際にはそうはならなかった。
むしろ、自分でも不思議なほど、自然と続けられていることに気づいた。
「明日の予定、更新されてるかな」
「今週の変更、もちゃで確認できたよ」
そんなクラスメイトの何気ない言葉を、ふとした瞬間に耳にするたびに——
言葉にされなくても、“誰かが必要としてくれている”という静かな事実が伝わってきた。
それが、何よりのエネルギーになった。
作業のモチベーションは、感謝の言葉や賞賛ではなかった。ただ、誰かの生活の中に“もちゃ”が当たり前のように存在していること。
その静かな“存在証明”こそが、続ける原動力になっていた。
一度、こんな相談を受けたことがある。
「うちのクラスでも使えるようにして欲しい」
その言葉は、確かに嬉しかった。
「もちゃ」が誰かにとって価値のある存在になっている——その証明のように感じられたからだ。
けれど、私はその申し出に首を縦に振らず、あえて“クラス限定”という方針を守ることにした。
その理由はとてもシンプルだ。
「自分が直接見える範囲の人のために作りたい」
そう思ったからだ。
決して、排他的な気持ちからではない。
ただ、責任が持てる範囲を、自分の目と心でちゃんと見渡せる範囲にとどめておきたかった。
誰かに届ける以上、中途半端なまま広げてしまうのは違うと思った。
一つのクラスであれば、その空気感も、人間関係も、必要とされる情報も、ある程度は肌で感じられる。だからこそ、誠実に向き合えるという自信があった。
「すごいね」と言われることもある。
けれど、自分の中では、それが“すごいこと”だと思えたことはあまりない。
やっていることは、きわめて地味で、根気のいる作業の連続だ。
エラーを直す。予定を更新する。メニューを整える。通知を送る。誰かが見ていようといまいと、その繰り返しに過ぎない。
一日として「完璧だった」と言える日はなくて、たいていは何かしらの不具合や見落としと向き合い続ける毎日だった。
それでも、続けていく中で気づいたことがある。
それは、
「誰かの“困った”に、静かに寄り添い続けること」
それこそが、何よりも価値のある行動だということ。
大げさな機能を詰め込む必要はない。
画面を派手に飾る必要もない。
ただ、誰かの生活にそっと寄り添い、困ったときに「ここを見れば大丈夫」と思ってもらえるような、そんな確かな仕組みを持ち続けること。
それが、プロジェクトとしての“意義”であり、私自身の“願い”だった。
「困難」という言葉は、たしかに重たい響きを持つ。
けれど、そのひとつひとつが、自分にとっては「確かな学び」であり、「歩みの証」だった。
ミスをして、悔しさを覚えて、でもそこから学んで、また前に進む。
その繰り返しの中に、自分の成長があった。
そして、今日もまた、おそらく何かしらの小さなトラブルが起きるだろう。
更新のときにエラーが出るかもしれないし、通知のタイミングがずれるかもしれない。
でも、それでいい。
「もちゃ」を待っている誰かがいる限り、私はこのプロジェクトを始めた理由を、毎日の中で思い出し続けられる。
この責任を、自分の心に静かに植え続けることこそが、私にとっての“誠実さ”の証なのだから。
─ 初期ユーザー ─
「自分ひとりで作ってるの?」
そんなふうに聞かれることが、これまでに何度もあった。
たしかに、設計も更新も、コードの修正も、基本的にはすべてひとりでやっている。放課後、空いた教室や自宅の机、スマホで操作できる時間さえあれば、いつでも“開発者”として手を動かしていた。
けれど、だからといってこのプロジェクトが“完全なひとりの力”で成り立ってきたとは、決して言えない。
もしも私が、誰にも意見を聞かず、誰の声も届かない場所でつくり続けていたのだとしたら。
「もちゃ」は、今のような形にはなっていなかったと思う。
私は、誰よりもこのサービスを理解してくれて、
誰よりも“使う人の目線”で向き合ってくれる仲間に、何度も何度も助けられてきた。
彼とは高校で出会い、気づけば3年間、ずっと同じクラスだった。
一緒に過ごす中で、自然とこのプロジェクトの話をするようになり、いつしか「もちゃ」にとって欠かせない存在になっていた。
彼は決して、ITに特別詳しいわけではなかった。
でもだからこそ、開発者とは違う「普通の使い手」の視点をまっすぐに持ち続けてくれた。
とても貴重な、その“フラットな目線”が、私には何よりありがたかった。
最初にサイトを公開したときから、私は新しい機能やページを作るたびに、まず彼に見せるようにしていた。いわば、私にとっての最初のユーザーであり、非公式の品質管理者のような存在だった。
彼のフィードバックは、いつも率直だった。
「この画面、情報はあるけどちょっとごちゃごちゃして見づらい」
「ここ、もう1クリック減らせたら、たぶん使いやすいと思う」
「通知が来たけど、ちょっとだけ内容が伝わりにくかったかも」
それらの言葉は、私が見落としていた部分、気づいていなかった“ユーザーの実感”を照らし出してくれるものだった。
それも、ただダメ出しをするのではなく、伝え方には必ず思いやりが込められていた。
だからこそ、受け取る側としても素直に受け止められたし、「もっと良くしたい」と自然に思えた。
とくに印象に残っているのは、新しいサービスをテストしていたときのことだ。
動作チェックや表示確認だけでなく、彼は「それを初めて触った人がどう思うか」という、もっと感覚的な部分に重きを置いて見てくれた。
「ここの動き、ちょっと迷うかも」
「このボタン、なんでここにあるのか一瞬考えた」
その“直感”こそが、開発者にはない視点だった。
LINEとの連携機能、通知文の見直し、メニュー構成の整理、操作フローの簡略化……
数えきれないほどの改善が、彼のひと言から始まっている。
「よく見てくれてるな」と思うことばかりだった。
開発をしていると、つい“自分の中だけの正解”に頼ってしまう瞬間がある。
「これでいいはず」「こうすれば伝わるはず」と、確かめもせずに判断してしまう。
でも、彼がいつもそばで正直に意見を伝えてくれたおかげで、私はその危うさに気づき続けることができた。
「こうしたらどうだろう」
「それなら、こういう言い回しの方が自然じゃない?」
そのやり取りが積み重なって、私の中には、“自分ひとりのためじゃない開発”という意識が育っていった。
私は、きっとひとりでも「もちゃ」を作り続けていたとは思う。
けれど、彼がいてくれたからこそ、それは“自己満足”で終わらず、誰かの手にちゃんと届くものになれた。
そんな確かな自信がある。
彼の存在は、コードや仕様には書き込めないけれど、「もちゃ」の根底にしっかりと息づいている。
私は、それをずっと忘れない。
一方で、もう一人の大切な協力者がいる。
彼は、「もちゃ」に新たな要素として加わったゲーム機能のテストを、専門的に手伝ってくれている存在だ。
もともと「もちゃ」は、提出物や予定などの“情報共有”を目的に始まったプロジェクトだった。けれど、次第に「それだけではもったいない」と感じるようになった。
せっかく自分たちの手でつくるのなら、学校生活にちょっとした“楽しさ”や“学び”を加えられるような仕掛けをつくれないだろうか——。
そんな思いから、クイズや早押しゲーム、学習とエンタメを融合させたコンテンツが生まれていった。
その道を、一番そばで支えてくれたのが、彼だった。
彼は、根っからのゲーム好きだった。
遊ぶことが好きなだけではない。プレイしながら、その構造や仕組みに自然と目がいく、観察眼と洞察力を持っていた。
そしてその力は、開発の現場において非常に心強いものだった。
たとえば、私が何日もかけてようやく完成させたゲーム機能を試してもらったとき、彼はただ「楽しい」「できた」と言って終わらない。
「ここ、スコア計算にバグがあるよ」
「この動き、ラグで反映されないときがある」
「アニメーションが微妙にずれて見える」
そうした指摘は、単なる“文句”ではなかった。
彼は実際に何度もプレイを繰り返し、状況を録画して検証したり、プレイログを残して比較したりと、まるでバグハンターのようにシビアな目線で開発版に向き合ってくれた。
驚くべきことに、こちらがまだ気づいていないような裏ルートの不具合を先に発見して報告してくれることも少なくなかった。
その徹底ぶりに、何度も感嘆させられた。
けれど彼がすごいのは、単に“問題を見つける”ことだけではない。
それ以上にありがたかったのは、ゲームの「面白さ」そのものにも一緒に向き合ってくれる姿勢だった。
たとえば、難易度の設定はどうか。
ゲームオーバーまでのテンポが早すぎないか。
操作の気持ちよさはあるか——。
そういった“ユーザー体験の質”に関する部分は、数字や仕様書では測れない。
だからこそ、彼と一緒に意見を交わしながら改善していく時間は、とても貴重だった。
開発をしていると、とかく「とりあえず動けばいい」と思ってしまいがちだ。
技術的な正しさや見た目の完成度だけに目がいってしまうこともある。
でも彼がいてくれることで、「それだけでは足りない」ということを何度も思い知らされた。
“使う人”の立場に立った開発、“楽しさ”や“心地よさ”まで考えた設計を、常に意識するようになったのは、彼の存在があったからこそだ。
「とりあえず動く」で終わらせない。
「もう少し良くできるかもしれない」を最後まで追いかける。
そんな開発姿勢を保てているのは、一緒に向き合ってくれる仲間がいるからこそだ。
ゲームという“遊び”の中にこそ、本質的な学びや驚き、そして人の気持ちに届く何かがある。
それを教えてくれたのも、まぎれもなく彼だった。
正式な「チーム」があるわけではない。
プロジェクト名の横に、肩書きが並ぶこともない。
誰かと契約を結んだわけでも、報酬が発生しているわけでもない。
でも、私が頼ると、まるでそれが当たり前であるかのように応えてくれる人たちがいる。
その存在が、「もちゃ」の土台になっている。
いや、正確に言えば——
彼らがいなければ、「もちゃ」はきっと今の形にはなっていなかった。
一人でサービスをつくるというのは、孤独な作業だと思っていた。
公開前から、不具合を直し続ける時間。
暗い未来に向けて、手探りで構築していく作業。
成功かもわからないまま、コードを書く日々。
その過程には、静かで長い孤独がつきまとう。
画面の向こうに人がいると信じて作っていても、反応がなければ不安になるし、うまくいかなければ自分のやっていることに意味があるのか分からなくなる瞬間もある。
でも、そんなときに、誰かが耳を傾けてくれた。
目を通してくれた。
実際に触れて、意見をくれた。
そして、ときには静かに手を貸してくれた。
それがどれほど心強かったか、
言葉では到底言い表すことはできない。
私にとって、彼らの存在は“技術的な協力者”という以上に、“精神的な支え”だった。
開発がうまくいかないときも、思うように伝わらなかったときも、
「一人でやっているけど、一人じゃない」と思えるだけで、また前を向けた。
このプロジェクトを通じて、私はひとつの大切なことを学んだ。
それは、
「誰かの役に立つものをつくる」ということは、
「誰かと繋がる」ということ。
自分の中だけで完結する“作品”なんて、
本当はない。
誰かが使ってくれることで初めて、
それは“サービス”になる。
誰かが意見をくれることで初めて、
それは“改善の余地を持った生きたもの”になる。
誰かが支えてくれることで、
ようやく“続けていける力”が生まれる。
「もちゃ」は、私ひとりでつくったものではない。
多くの人の見えない支えによって、今この場所に立っている。
そしてそのことが、私の「ものづくり」の原点になっている。自分のためだけでなく、誰かのために手を動かすということ。一方通行ではなく、誰かとの対話の中で形を育てていくということ。
それが、私がこのプロジェクトから得た、一番大きな財産だ。
─ 人生の到達点 ─
「もちゃ」を立ち上げたとき、正直なところ、将来のことなんて何も考えていなかった。
何か大きな夢があったわけでも、進路のための実績を積もうとしたわけでもない。
ただ、授業の提出物がいつか分からなくなる。
範囲の確認をするにも、黒板の写真が見つからない。
時間割が変更されたことを、知らないまま登校してしまう。
——そんな些細だけれど確かに日々の中にある“混乱”を、少しでも減らしたいと思った。
それだけが、最初の動機だった。
だけど、手探りで続けるうちに、少しずつ景色が変わっていった。
最初は自分のために作った仕組みだったのに、いつしかそこにクラスメイトの反応が加わり、
意見が届き、協力してくれる仲間ができていった。
そして、気づけば「人とのつながり」が生まれていた。
さらに、自分の手でゼロから何かをつくる面白さ。
試行錯誤を重ね、工夫して、ようやくひとつの形ができあがったときの喜び。
そして、それを誰かが使ってくれて、「便利だった」「助かった」と言ってくれたときの、あの胸の奥がふわっとあたたかくなるような感覚。
そのすべてが、私にとって初めての経験だった。
ただの便利ツールが、いつの間にか「ものづくりの面白さ」と「誰かの役に立つ責任」を教えてくれた。
それは、私の将来に光を投げかける出来事だった。
進路が“変わった”というよりも、むしろ、“照らされた”という感覚のほうが、しっくりくる。
どこへ進めばいいのか分からなかった道の先に、小さな灯りがぽつんとともったような感覚。
それが「もちゃ」という存在だった。
技術に関しては、分からないことのほうが多かった。CSSで思ったようにレイアウトが組めない、JavaScriptの記述でエラーが出る。
通知機能がうまく動作しない。
何度も何度も壁にぶつかった。
でも、そのたびに考えた。
知らないなら、調べてみよう。
それでも分からないなら、人に聞いてみよう。
そして、もう一度やってみよう。
“できないからやらない”のではなく、
“だからこそ、やってみる”。
その姿勢が、私を少しずつ変えてくれた。
最初は「どうすればいいか分からない」と戸惑っていたはずの私が、いつの間にか「もっとよくするにはどうすればいいか」を考えるようになっていた。
この経験が教えてくれたのは、
「できないこと」は「やれないこと」ではない、という当たり前のようでいて、なかなか信じきれなかった真実だった。
だから今、私は迷いなく進みたいと思っている。
もっと技術を学びたい。もっと知識を深めたい。
誰かの「困った」に、もっと柔軟に、確実に応えられるようになりたい。
その思いの先に、「情報系専門学校へ進学したい」という、はっきりとした未来が見えてきた。
そして2025年10月、私は「もちゃ」をプレゼン材料として特待生制度を活用し、情報系専門学校に合格した。1年半以上毎日欠かさずに積み重ねてきた経験は他の誰よりも、他の何にも変えられない貴重かつ希少な経験であることを改めて実感することができた。「もちゃ」をきっかけに始まった、ほんの小さな挑戦は、私の人生を照らす大きな道しるべになっている。
─ 実感を未来へ繋げる ─
将来、私は教育現場で使えるような情報共有サービスを開発したいと思っている。
もっといえば、Google Classroomの代わりになり得るような、“現場に根ざした、日本の学校に合った仕組み”をつくってみたい。
もちろん、Google Classroomは素晴らしいツールだ。世界中で使われ、教育のICT化を大きく前進させてきた。
けれど、その「良さ」がそのまま現場に届くとは限らない。使い方に「慣れ」が必要だったり、端末やネットワークの環境によってはストレスを感じることもある。
そして何より、同じツールを使っているはずなのに、先生ごとに運用方法がバラバラだったり、生徒が戸惑ってしまうようなことも、少なくなかった。
私は、そうした日常の「モヤモヤ」を、少しでもやわらげたい。
“教える人”と“学ぶ人”が、自然につながれる。そういう場所を、自分の手でつくりたいと思っている。
学年やクラス、教科に応じて最適化された表示。
提出状況がすぐにわかり、次に何をすべきかが迷わず見えてくる。
見た目はシンプルで、でもどこか温かみがあって、時にはちょっとした「遊び心」や「個性」もある。
そんな、“日本の学校の空気”にちゃんと馴染むような、やさしいサービスをつくりたい。
それはきっと、「もちゃ」で私が目指してきたことの延長線上にある。
「これは私ひとりで作ったものじゃない」
支えてくれた人がいて、率直な意見をくれた人がいて、更新を待っていてくれた人がいた。その一人ひとりの声が、「もっと良くしよう」という意志につながり、私をここまで連れてきてくれた。
そして何より、自分自身が「つくることって、楽しい」と心から思えた。
その実感こそが、これからを支える根っこになると信じている。
「もちゃ」は、夢への最初の地図だった。
未完成で、拙くて、それでも真剣に描いた道筋。そのひとつひとつの足跡が、いま確かに未来へと続いている。
いつか本当に、教育の現場で使われるようなサービスを、自分の手でつくるその日まで。
私はこの想いを胸に、「もっと、ちゃんと。」という言葉を道しるべに、その先に、はっきりと見える光を追いかけている。
※本記事は、当ウェブサイトが立ち上がるまでの過程を基に構成されていますが、読者の理解を深めるために、一部に脚色・演出・時系列の再構成を含んでいます。
※本文中で紹介しているプログラミング上の問題やその対応策は、当時の状況や個別環境に基づいたものであり、現在の一般的な推奨手法とは異なる場合があります。実際の技術的判断については、公式ドキュメントや専門家の助言を参考にしてください。
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もちゃ サービス概要
| 運営団体 | MoCha Original |
|---|---|
| 運営者 | 浦島 昊人 |
| 利用料金 | 無料 |
| サービス開始 | 2024年4月26日 |
| サービス終了 | 未定 |
運営者 紹介
| 氏名 | 浦島昊人 |
|---|---|
| 生年月日 | 2008年3月12日 13時30分 |
| 好きな食べ物 | レタス |
| アルバイト歴 | くら寿司 サイゼリヤ |
運営者経歴等
| 幼稚園 | 青英学園幼稚園(深井園) |
|---|---|
| 当時、強豪と言われたサッカー部に所属するも、 試合でボールに触れることはなく卒園。 | |
| 小学校 | 堺市立八田荘西小学校出身 |
| 体育の授業にて跳び箱5段を成功させ歓喜のあまり前方へ飛び出し、体育館の壁に衝突。壁に打ち込まれていなかった釘に膝を強打し、流血するアクシデントを経験。 小学4年生の2分の1成人式では、直前に原稿を紛失。授業参観の場で記憶を頼りに発表をやり遂げ、即興力を鍛えられる。 | |
| 中学校 | 堺市立八田荘中学校出身 |
| 私立高校入試2週間前、横断歩道から歩道に上がる“10cmの段差”につまずき転倒。右手が脚と地面に挟まれ流血し、全治2週間の負傷。利き手が使えず“ノー勉”状態で入試本番に挑み、浪速高等学校第Ⅲ類に合格。 陸上部の大会で、吹田市の万博記念競技場へ電車で1時間半かけて遠征。リレー第1走者のフライングにより、一発失格を経験。 英語の定期考査で「あなたの立場で答えなさい」という問いに対し、3年間一貫して「I don’t know」で回答。独自の信念で挑み続け、同形式問題で正解率60%という逆転現象を生む。 | |
| 【令和2年度 後期】 後期生徒会執行部 執行部員 【令和3年度 前期】 前期生徒会執行部 執行部員 【令和3年度後期】 生徒会執行部 会長 【令和4年度前期】 生徒会執行部 会長 【所属部活動】 陸上競技部(高跳専門)堺市オープン3位 | |
| 高等学校 | 大阪府立堺西高等学校 |
| 【令和5年度 後期】 後期生徒会執行部 会計 堺市南区政策会議 未来共創高校生部会 特別構成員 【令和6年度 前期】 前期生徒会執行部 会計 堺市南区政策会議 未来共創高校生部会 特別構成員 【令和6年度 後期】 後期生徒会執行部 生徒会長 【令和7年度 前期】 前期生徒会執行部 生徒会長 【令和7年度 後期】 堺西高校公式Instagram 初代広報担当 【所属部活動】 写真部 ・文星芸術大学 芸術公募展2025 写真部門奨励賞 ・藤原NH振興財団第12回フォトコンテスト 佳作 |



